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波田陽区語る ブレイクと恐怖
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 着流し姿でギターを構え、芸能人らをネタにいじり倒し、最後は「残念!」と斬る。「ギター侍」と呼ばれるお笑い芸人、波田陽区(はた・ようく)さん(42)は今、福岡を拠点に活躍する。「人生はラッキーの連続」と話す波田さん。「一発屋」の芸人として胸を張り、いつも笑顔を絶やさない。

 《平成16年3月。東京・汐留の日本テレビのスタジオで、300人の観客を沸かせた。ギター侍がブレイクした瞬間だった》

 あの瞬間が、自分の人生のピークでしたね。お笑い番組「エンタの神様」の収録に初めて参加しました。アイドルグループ「モーニング娘。」の保田圭さんをいじったんです。僕は29歳でした。芸人として芽は出ず、おやじからは「30歳になったら、やめないか」と言われる始末でした。でも、「エンタの神様」が始まった。若手芸人を前面に出す番組でした。僕が所属するワタナベエンターテインメント(ナベプロ)でも、芸人全員が出演の機会をつかもうと、ネタのビデオを番組に送りました。それが、引っかかったんです。

 《ギター侍は、当初意図していたものとは違った》

 収録では、10台以上のカメラを前に緊張しました。僕のネタは「拙者、ギター侍じゃ…」とギターを弾いて、芸能人や有名人を「アンタ、○○と言うじゃなーい」と紹介した上で、「でもアンタ、△△ですから! 残念!」とバッサリと斬り捨てる。柔らかい感じで「言うじゃない?」というつもりでした。でも、緊張のあまり、「言うじゃな~い」とオネエ口調になった。

 しかも、「残念」って小さな声でしめるつもりが、「残念!」と大きな声で言ってしまった。変な感じでした。このときは、モー娘の保田さんを「あんた、卒業じゃなくて退学ですから、残念!」って。それがうけた。僕の緊張感と、お客さんの「こいつ、誰だ?」という空気が、良い感じでぶつかったと思います。次週からレギュラーになりました。

 《生活は一変した》

 ナベプロ所属とはいえ、それまでは都内のコンビニで週に5日間、アルバイトをして暮らしていました。しかも、その店はエンタが収録された16年3月に、閉店することになっていました。「働き口がなくなるな」。そう心配をしているときに、レギュラーが決まったのです。素浪人のなりで、衣装はディスカウントストアで2千円で買ったものです。しばらくすると「あまりに汚い」と、番組に用意してもらいました。

 売れているという実感はなかったのですが、3週間ぐらいたって、同じ日テレのバラエティー番組「恋のから騒ぎ」で、明石家さんまさんが「残念!」と僕のまねをされたんです。初めて実感しました。うちの母ちゃんは体調が急に良くなったと言うし、おやじも「辞めろ」とは言わなくなった。ネタを披露し、お金をもらえるのは初めてです。うれしかった。今ここで自分は立っているんだ、生きているんだ。そんな実感を得られました。

 その年の夏も過ぎると、エンタ以外でも出るようになり、女性誌のインタビューを受けたりもします。ちやほやされました。所属事務所にも、これで認めてもらえると安心しました。恩返しができた。ありがとうございますと感謝しました。

 エンタでは毎週、5人ずつを「残念!」と斬っていました。収録前は、ディレクターらと入念に打ち合わせもします。「この人を斬ってください」といわれたら、大学ノートにその人のプロフィルを書き、どう斬っていくかネタを作りました。一発屋といわれますが、他の一発屋と違って、同じネタはできない。それはしんどかった。家に帰る暇もなく、日テレ近くのホテルに自腹で泊まり、夜中までネタを20人分、考えました。来る日も来る日も目いっぱいです。ネタ作りに追われる毎日でした。目の前のやるべきことをこなすのに、精いっぱいでした。誰をどう斬ったか、ほとんど覚えていません。

 マネジャーさんは、携帯電話を両手にスケジュールを組みます。「波田君は平成のピンク・レディーだね」と言われたこともあります。各局をタクシーで、着流し姿に雪駄で移動します。通帳にはそれまで見たことのない額のギャラが入ります。月の最高収入は、2800万円にもなった。笑いが止まりません。周りの芸人におごったり、韓国に日帰りで旅行したり…。会いたかった大物芸人に会えて、毎日が夢心地のようでした。でも、「すぐに飽きられる」との恐怖感がありました。

 何万人もいるだろう芸人の中で、テレビに出られるのは、ごくわずかです。頭の片隅では「ちょっと待てよ。長続きはしないだろう」と、うすうす感じていました。そんな先輩芸人を見てきたからです。

 《恐怖感は現実のものとなった》

 僕はエンタという番組の、分かりやすいテロップなど、演出に助けられただけだったんです。10月になると、レイザーラモンHGや長州小力さんらが出てきた。声援を比べて、押されてるなと感じました。年が明けると、現実が待っていました。スケジュール帳に休みが入り出した。番組制作側は、常に新しいものを求めます。僕が出るときの毎分の視聴率が下がり気味で、気付いたら席はなくなっていた。

 チャンピオンベルトを締めたのに、それをすぐに人に渡して自分は路頭に迷う。これが芸能界なんだと、怖くなりました。といっても、年が明けてもラジオなどのレギュラー出演はあったんです。生活できるくらいの給料はいただいていました。でも、それまでの、テレビに出ずっぱりという世間の感覚が強すぎた。世間からは「完全に消えた人」になりました。不安で、心が震えた。焦りました。怖くて、両親にも家族にもつらい、とはいえなかった。これが芸能界だと考え、もがきました。

 着物をピンク色に変えたり、「占い侍」になってみたり。歌手のさだまさしさんをモチーフに、「さだようく」で漫談をしたこともあります。でも、納得できるネタが生み出せなかった。ユーチューブ(動画共有サイト)で、黄色の着物に羽を付け、「フェニックス」と言って街角に出没するギャグも流しました。視聴回数が上がらない。つらすぎて、着物を脱ぎ、違うキャラクターでいきたい、と思うようになりました。でも周囲からは「ギター侍でお願いします」と言われる。これが、キャラクター芸人としての宿命なんだ。このまま一生、ギター侍を背負って生きるほかない。でも、消えるわけにはいかない。引っ越してきた福岡でレギュラーの帯番組を持ち、お客を笑顔にしたい。自身にそう言い聞かせる毎日です。



引用:波田陽区語る ブレイクと恐怖




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